臼井洋輔 氏

時代の目詰まりに果たす禅と備前
備前市立備前焼ミュージアム館長  臼井洋輔

「備前焼ビアマグは小さい泡が発生するため、確かにおいしいが、本当においしいのは最初の一杯だけだ」と云う話をある有名な備前焼の作家から聞いた。でも備前焼の機能的優秀性が世間に認めらつつある状況において、備前焼作家が水を差す話であるだけに、ちょっと待ってと思った。私はビールを飲まない。生まれて一度も飲んだことがない。そこで私にビールを飲ませられたら、100万円上げるとも云っている。とにかく飲んで試すわけにいかないが、ちょうど今の季節ならでは、と云える一つの実験が私の中に閃いた。
水無月ともなれば、必ず年中行事のように五月の花菖蒲から、順次紫陽花で部屋を飾ってみる。しかしこれがなかなかままならない。と云うのは水揚げの悪い代表格のような紫陽花は長持ちしないので、大抵がっかりさせられる。洋種紫陽花、といってももともとは日本からシーボルトによって、日本での妻の名を取って「オタクサ」として初めてヨーロッパに紹介された花であり、改良を経て今そのヨーロッパから逆輸入されている。洋種の方が古典的な日本の紫陽花より、茎もしっかりしているせいか、和製よりは長持ちや、派手さの点で少し勝っている。
もちろん花を活ける器によって花もちが大きく違うのである。伊万里焼のような施釉と、無釉焼締めの代表格である備前では大体どの花も、無釉の方にかなりの差で凱歌があがる。それは備前焼は花瓶の内側や内部に無数の凹凸と穴気泡を抱えているため理論上表面積が圧倒的に大きい。伊万里焼などの施釉ものは表面の釉薬が溶けてつるつるになっているためである。この表面積の多寡が大きな差をもたらせていると考えている。これに対して、私は「備前大甕水が腐らん」の理論付けとして、「水たまりの水は腐るが大海の水は腐らない」を当て、備前焼の「大海効果」と名付けている。和洋両種どちらもそろって長持ちさせる方法がないものか。という実験である。
ただ昔から茎末端を焼いてみたり、銅銭を入れたりそれなりの伝統的手当もある。花の茎端を焼くなどとても可愛そうと思いつつも、実はこれは雑菌抑制対処に他ならないと気付く。しかしそれとて決定打ではないことはご存知の通りである。しかし先述の備前焼の作家の言葉から、一杯目と二杯目で違うのは、二杯目には目詰まりを起こさせる油脂成分か何かが付着し、せっかくの大海効果がシャットアウトされている可能性が大だから、花瓶は花を変える時は良く洗って内面を生き生きさせて活けると良いのではないかの仮説を根拠にして実験開始。使っていた花瓶を柄付タワシと洗剤で綺麗さっぱりさせてから花を生けてみた。くたびれかけた花まで、答えは間もなく確実に出た。和洋両種ともピンとしたではないか。花瓶に限らず、昨今世の中もあっちこっちで目詰まりを起こしているような気がする。備前焼ならば、話の種としてビールのつまみが一つ増えるし、ビアマグは2個用意して貰えばこの不況の時販路拡大?にもなるではないか。

ところで備前焼の目詰まり状態の現状を打破するための動きが出始めている。つまり備前焼を覆っている暗雲を何とか取り除こうと作家側から頑張っている若手作家が出始めているということである。
ことあるごとに備前焼の可能性と未来への希望をかき立ててくれている平川忠、赤井夕希子さんが、アメリカテキサスのクリスチャン大学に招かれて、日本の中世の土窯をアメリカの大地に築き、空気と水を吸ったアメリカの粘土で備前焼を作り、真剣さが触れた時、心は一つという新たな文化交流新時代を切り開いている。大地と日本の焼物で模索した宇宙を、善政と文化的レベルの高さで知られる、池田家の菩提寺であるである曹源寺の書院と庭園を舞台に見せる「禅と備前」を展開し、突き詰めれば現代社会が得たものと失ったものとの関わりを取り上げようとしており、よどみと停滞と目詰まりを彼流に拭うために、禅と時代の炎で生まれた備前焼の禅のように大きな宇宙を見せてくれたのではないだろうか。