谷一 尚 氏

曹源禅寺での土窯プロジェクト「禅と備前(Zen & Be-zen)展」によせて

林原美術館長・山陽学園大学副学長 谷一 尚

 中世の備前では、現在のような、部屋が区切られた連房式の登窯(のぼりがま)ではなく、斜面を利用したトンネル状の直炎式単室の窖窯(あながま)が用いられていた。こういった窯の構造は、もともと5世紀前半頃に朝鮮半島から渡来したものであった。後の地上式登窯を「浮き窯」と呼ぶのに対し、このような半地上・半地下式窖窯を「沈み窯」と呼ぶ。古代には、天井や壁をスサ(植物繊維)入り粘土で貼った例が多いが、中世には単に粘土造りとなり、焚(た)き口に石を用いたりもした。今日の窯が、日乾(ひぼし)煉瓦(れんが)や耐火(たいか)煉瓦で築かれているのに対し、このように土でできている点が大きな相違点となっている。中世土窯の特徴は、①煙突を持たない、②傾斜のある窯床でゆるやかな曲線を描く、③その場の土を無加工で用いることである。
実際には、山の斜面に溝を掘り、枝木や竹など近隣の素材でアーチをかけて骨組みをし、その上に山土を乗せるので、窯の胴部の半分が地中に埋まり、天井部分が地上に出た状態の、窯内に仕切りのない構造となる。備前焼の古窯は、山中を転々と移動しており、焼物の素材となる粘土と、焼成する燃料としての木々さえあれば、窯を築いて作品をつくることができたのである。
備前陶芸家の平川忠氏と赤井夕希子さんは、昨2015年の5月から8月にかけて、米テキサス州フォートワースのクリスチャン大学藝術学部准教授で陶芸彫刻家のクリス・パウェル氏からの要請により、アーカンソー州デクイーンにおいて、この中世備前焼古窯構造を復元した土窯を築窯、作品を制作、この窯による焼成という一連の共同プロジェクト作業を実施した。窯を築いたアーカンソー、テキサス、オクラホマ3州の交わる辺りは、原住民のカド族が居住していた地域で、古より土器がつくられていた。平川氏らも、窯場周辺から精査により13種類の粘土を発見。その現地の土を用い作品を制作している。成形器具も、現地の木の枝を加工して用いるという徹底したやり方であった。
その方法は、まず、摂氏1000度で空焚きし、窯全体を素焼き状態に。アーチの骨組みであった竹が燃え、窯としての強度を得、内側から補強。次いで窯詰め。窯焚きには、樫(かし)や松など、現地の風倒木を利用し、環境保護にも配慮。窯出し後、シンポジウムを実施。現地美術館や他大学との藝術交流、成果発表を兼ねた展覧会も実施し、大きな反響を得て帰国した。
また、この前年2014年5月~11月には、公益財団法人福武文化振興財団と同マルセンスポーツ・文化振興財団の助成による吉備特殊器台復刻プロジェクトも実施している。特殊器台とは、弥生時代後期に吉備地域を中心とする山陽地方で展開した墳墓祭祀専用の土器のこと。三角や巴(ともえ)形の透かし孔(あな)と組帯文様で装飾された筒型の胴部に、受け口の口縁部と裾広の脚部が付く。使用方法は、胴部に突帯(とったい)を巡らせた底部穿孔(きゅうこう)の特殊壺をこの上に戴(の)せて墳墓に供献した。プロジェクトでは、岡山大学考古学研究室所蔵の倉敷市楯築(たてつき)遺跡出土立坂(たちざか)型特殊器台、岡山県古代文化財センター所蔵の新見市西江遺跡出土向木見(むこうきみ)型特殊器台、岡山県立博物館所蔵の総社市宮山遺跡出土同型特殊器台・特殊壺を、半密閉型の野焼きで復刻再現し、備前焼の原点が弥生時代に遡ることを確認したとする。
備前焼は中世六古窯の一つで、伊部(いんべ)焼とも香登(かがつ、かがと)とも呼ばれるが、これは生産地および所属の荘園名に起因している。直接には備前邑久郡の須恵器の技術を継承しており、平安末の備前焼初期では、還元焼成により灰青色の碗・鉢・甕・瓦が主に焼かれ、消費地遺跡は近隣と京阪の数か所に限られる。鎌倉中期には、焼成温度も上がり、黒灰色の碗・壺・擂鉢(すりばち)・大甕などが焼かれた。消費地遺跡は近隣・京阪に加え、鎌倉からも出土する。京や鎌倉の禅宗寺院との関連はこのころから認められる。
こういった観点を踏まえ、備前焼の原点から禅宗との邂逅(かいこう、出会い)と、備前焼の未来を模索する意図で企画されたのが、岡山における禅宗の名刹(めいさつ)「曹源禅寺」を舞台とした本展覧会である。禅の美意識と備前焼が本来有する美の根源性との整合を、面と向かって世に問う初めての展覧となったといえるのではないだろうか。この報告写真集をより多くの皆様にご高覧いただき、その奥深い美の原点への回帰と未来への展開の可能性をご堪能、ご吟味賜れば幸甚である。